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最高裁判所第二小法廷 昭和51年(行ツ)19号 判決 1978年7月07日

上告人

張復生

右法定代理人親権者

張楽三

張馬淑賢

右訴訟代理人

後藤一善

被上告人

和歌山大学教育学部附属中学

校長

山本博之

右指定代理人

鈴木孝雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人後藤一善の上告理由について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。所論違憲の主張は、その前提を欠き失当である。論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(栗本一夫 大塚喜一郎 吉田豊 本林譲)

【第一審判決理由(抄)】

原告は、本件「抽せん」という入学志願者選抜方法自体が、憲法二六条、教育基本法三条の根本理念に反すると主張する。

しかしながら、憲法および教育基本法の右各条規に、すべての国民がその能力に応じて等しく教育を受ける権利を有し、人種等によつて教育上差別されない旨を宣明したものであり、このことから直ちに選抜手続が常に学力試験によらねばならないということはできず、附属学校が前叙(編注、国立学校設置法二条、同法施行規則二四、二五、二七条、学校教育法三五条の規定が引用されている。)の設置目的を実現するため、固有の教育方針、計画に基づき自らの判断において、多数の入学志願者の選抜方法として抽せんの方法を採用したかといつて、何ら論難すべきいわれはない。

【第二審判決理由(抄)】

(一) 国立大学附属中学校長のなす入学許否の処分は、原判決の説くとおりいわゆる自由裁量行為に属し、したがつて同附属中学校の入学者選抜方法として抽せんによるか、学力試験によるか或はその他の方法によるかは、当該年度の志願者数、人的物的施設等諸般の況状を参酌したうえ、その裁量により自由に決定しうるところであつて、その採用にかかる選抜方法が他の方法に比較してより合目的的であるか否かは司法裁判所の判断すべき事項ではなく、ただそれが憲法その他の法条に反し、或は裁量権の濫用にわたる場合にのみこれを規制しうるにすぎない。

(二) この見地において、控訴人の挙げる憲法二六条の法意を考えると、同条にいわゆる「その能力に応じて」とあるのは、能力以外の人種、性別、社会的身分、経済的地位等によつて、教育上差別的待遇をうけないことを意味するにすぎず、被控訴人が本件抽せんによる選抜方法を採用したからとて、右能力以外の事由により差別的待遇をしたものというに当らず、また志願者の人権を無視し、その人格を等閑視するものと見ることはできないのであつて、教育基本法にも何ら牴触するところはない。

上告代理人後藤一善の上告理由

第一点 原判決には憲法の解釈を誤まつた違法がある。

すなわち控訴審は、憲法第二六条にいわゆる「その能力に応じて」とあるのは、能力以外の人種、性別、社会的身分、経済的地位等によつて教育上差別的待遇をうけないことを意味するにすぎず、被上告人が本件抽せんによる選抜方法を採用したからとて右能力以外の事由により差別的待遇をしたものというに当らず、また志願者の人権を無視し、その人格を等閑視するものと見ることはできないのであつて、教育基本法にも何ら牴触するところはない。ということを主たる理由として上告人の控訴申立を理由がないものとして棄却したが、以下に述べるような理由により控訴審の判決は憲法第二六条の解釈を誤つたもので違法といわなければならない。

国立大学附属中学校長のなす入学者の入学許否の処分は自由裁量行為に属するから入学者の選抜方法として如何なる方法をとるかは才覚により自由に決定しうるとはいいながら、同校は学校教育法、国立学校設置法等によつて明らかな如く、一般の中学校と同様憲法所定の義務教育である小学校履修者に対する中等普通教育を施すだけでなく和歌山大学教育学部の教員養成という要請に応ずるため生徒の教育の研究や教育実習を行う等の固有目的のもとに設立されたものであるという国立の附属中学校独自の特有性を帯びているものであるから、入学者の選抜手続の選択に際しては、かかる教育目的を達成するのに合理的であるや否やを基準とすると同時に憲法第二六条や教育基本法第三条に保障されているように、全て国民は能力に応じて等しく教育を受ける権利を有し人種等によつて教育上差別をされるということがないという法意に則り最も教育目的に適する方法を講ずるよう義務づけられているといわなければならず、かかる立脚点から綜合的に判断し、合理性を欠く場合は裁量権の範囲を逸脱し違法であるといわなければならない。

特に憲法第二六条にいわゆる「能力に応じて」とは、教育を受けるに適するかどうかの能力に応じてということであつて、唯単に能力以外の人種や信条、性別等による差別をうけないというのみにとどまらず教育をうける能力があるかどうかの判定についても公開の競争試験による能力の実証以外の方法による差別を許されないことを意味するものである。

控訴審はこの点について、本件「抽せん」は差別的待遇に当らないというが、本件「抽せん」の選抜手続きは極めて非科学的であるばかりか、人の一生を「くじ引き」という全く機械的、偶然性により左右しようというもので恰も大売出しにおける景品の当選者を決めるのに等しく、人権を無視し人格を等閑視するものである。

蓋し教育とは人の精神、身体、両面の発育を促進し人類の社会生活に必要な知識を授け知能を開発し人間形成に資することにあるが、物的制限から対象者を限定するには中等普通教育を施すのに必要な素質を有する者を選抜することがより教育目的に適合するからその見地より個々の志願者につき資質、心身の発達の程度、能力等に関しての主観的判断を加え適否を綜合的に判定することが教育目的を達成するのに最も合理性を有するということができるというべきであるのに、本件「抽せん」は能力の判定とは無関係な事情によつて差別しようというもので、憲法第二六条教育基本法に反し違法である。

以上いずれの点からみても原判決は違法であつて破棄されるべきものである。

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